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【笑顔コーヒー】を作っているのは、スーパー焙煎士。


はじめまして。コーヒー焙煎士の山口こういちと申します。

大阪の堺市で、自家焙煎珈琲専門店カスタムを構えて営業しています。

 

コーヒー焙煎士山口こういち



自家焙煎コーヒー専門店カスタム   自家焙煎コーヒー専門店カスタム


山口こういちが、はたしてどういう人間なのか、ちょっとだけでも?知っていただきたいと思い、
以下に、幼少の頃からのプロフィールを書きました。
お時間のある時にでも、ぜひ、一読していただきたいです。



【キングブレンド巧(たくみ)出生】


ボクは、昭和38年2月27日午後9時10分

大阪堺市の商人の家に生まれました。

大信商店(八百屋:昔の総合食料品店)の長男として生まれたんです。


自宅がお店だったので、いそがしい両親は、ボクの面倒をみることが大変だったそうです。

なので、ボクは、町内の家に預けられていました。
幼いボクは、預けられていた家のお母さんのことを自分のお母さんだと思っていました。

そのお家では、ボクのことを、本当の子どもとして大切に育ててくれました。

まだ、保育所なんかが無い時代です。
その後、別の家にも預けられていました。

でも、どうか、誤解しないでください。
ボクの両親は、とても子ども好きで、ボクを愛情一杯に育ててくれました。
あまりに商売が忙しくて、子どもをみれなかったのです。


当時、生鮮食料品店は、羽振りが良く、朝、トラック一杯に仕入れてきた商品は、
夕方にはすべて売り切れるのでした。
商売の羽振りがよいので、ボクの家はお金持ちでした。
夏には、観光バスを仕立てて、お得意さんを旅行に連れて行ってたぐらいです。


ですから、ボクは、いわゆる「ぼんぼん」だったわけです。

当然、ぼんぼんの証として、前髪は横一文字で、ぼっちゃん刈り。

当時としては珍しい、送迎バスで、私立の幼稚園に通っていました。

町内で、その幼稚園に通っていたのは、ボクと地主でお金持ちの同級生の
二人だけでした。

幼稚園では、いいとこのお子さま達が、ちーちーぱっぱ、していました。

お金持ちと言っても、いわゆる成金です。

だから、八百屋の息子のボクは、ホントは気が弱いくせに、ボンボン達相手に
我が物顔で、好き勝手にいちびっていました。
(注)いちびりとは・・・。



【巧、小学校へ行く。】

小学校は、地元の公立校でした。

ぬるま湯幼稚園に通っていたボクは、地元の子ども達と遊んだ経験がありませんでした。

子どもの遊びが、ほとんど屋外で、しかも野球であることをその時、初めて知ったのです。

ボクはと言えば、
ボールを打つことは、自分の前の子がしているのを見てわかったけど、
実際打った後、どっちに向いて走るのかとか、ボールをとったら、どこへ投げるのかとか、
なにもわからず、
「はよ、打てや~!」
「はよ、走れや~!」
「どこ投げてんねん~っ!」と、
まわりの友達から、罵倒をあびせられました。

このボクが、まわりから責められるなんて・・・。
ショックでした。

その時のことは、今でも良く覚えています。


幼い頃から、ちやほやされて、大きくなったボクは、自尊心だけは、人一倍ありました。
その薄っぺらい自尊心は、すでにボロボロです。
生まれて初めてした野球は、ぼんぼんだったボクを、奈落の底へ突き落としたんです。
野球というスポーツは、その後も、ボクを苦しめるスポーツとして、存在しました。
ボクは、野球が大嫌いになりました。

野球のおかげで、ボクは「ちーちーぱっぱのガキ大将」から、
「野球がへたくそな、なさけない、弱虫」に転落したんです。


小学生時代、とくに低学年は、スポーツができる子が、人気者でした。
また、ちゃらけて、面白いことをいう子も人気でした。
ボクの取る道は、一つしかありませんでした。
「面白いことを言って、まわりを笑わせる。」
少々勉強ができても、なんのとりえでも、ありませんでした。


スポーツができるか・面白いか。
このどちらかです。

ボクは、気は弱いが、自尊心が強い。
難儀な子どもです。

みんなに埋もれて、注目してもらえないのは、嫌でした。
と言って、やっぱり野球は下手でした。
みんなは、ボクが、ちーちーぱっぱしている時から、毎日野球をしてきたんです。

エアコンが家庭に普及していない時代に、エアコンの効いた室内で、
積み木とかしていたんですから、その差は歴然です。
このままでは、つらい。

ボクは、ひたすら面白いことを言い続けました。
考えつく限りのギャグを言い続けました。
ぼんぼんから、一気にお笑い芸人に転職した瞬間です。


【中学年】

ボクには、好きな先生がいました。
林先生です。
林先生は、一年生の時の担任です。
ボクが4年生の時は、隣のクラスの担任でした。
林先生に、音楽を教えてもらっていました。
林先生は、音楽専科の先生ではなく、担任も持っていました。

ボクは、ぼんぼんだったので、今でこそ当たり前になっている習い事をしていました。
一週間の内、習い事の無いのは、日曜日だけでした。
ボクは、自宅近くで、ピアノを習っていました。
ボクのピアノは、レベルはたいしたことなくても、小学生が知らない、楽譜の記号や意味を知っていました。
簡単な曲なら、何曲も弾けました。
林先生は、みんなの前で、
「こうちゃんは、音楽の才能がある。」と、言ってくれました。


今にして思えば、そんなはずはなく、きっと、リップサービスだったのだと思います。
でも、人一倍自尊心の強いボクは、その言葉に、強く反応したのです。
この先生は、自分のことをわかってくれる。
ボクは、林先生のおかげで、市民権を得たような気持ちになりました。


勉強はそこそこ、スポーツも少しはできるようになってきました。
そして、面白いことを言って、授業中みんなを笑わせたりします。
そして、なにげに、ピアノが弾けました。


一つずつ一つずつ、自分ができることを人前ですることが、増えてきました。
自分自身を出す、表現することが増えてきたのです。

気づくとボクは、まわりの人と自分を比べなくても、気にならなくなりました。
自分は自分だと、思えるようになってきたんです。
近所のガキ大将に対して、へらへらしなくなったのも、この頃です。


4年生の2学期、
ボクは、クラスのみんなから推薦されて、学級委員になりました。
クラブは、相変わらず屋内系です。読書クラブに入りました。
4年からの一年間で、図書室にあるSFの本を全部読んで、みんなにビックリされました。


また、それが自分の自慢であり、自信につながりました。
途中で、サッカークラブに入って、走りながらボールをけることの楽しさを知りました。

自分は、人より結構足が速いことも、このとき知りました。
それがまた、自信に繋がっていきました。

野球は、相変わらず下手でしたが、罵倒されることはもうなくなりました。


結局、6年生の時、図書室の本をほとんど読み切っていて、その実績だけで、部長になりました。
同時に、機械好きだったボクは、放送部にも入り、学校放送を一手に引き受けていました。

運動会の時、レコード(当時はCDなんて無い)を順序よく配置し、滞りなく流したことで、
校長先生にほめられたことも嬉しい思い出です。


ボクの母は、ボクが野球で苦しんでいることも知らず、表彰されたり成績が上がることを、
とても喜んでくれました。

母は、田舎のお金持ちの末っ子として、何不自由ない生活をしていたのに、
何を間違ったのか、不良な父と結婚したのでした。

母は、店をするかたわら、育児をし、舅姑に辛く当たられ、金銭感覚のない父に
悩まされながら、辛い日々を送っていました。

母は、子どもが成長し、立派になることを夢見ていました。
そのことが、母の心の支えだったようです。
だから、母が喜ぶ顔を見るのが、ボクの喜びでもありました。


そうしてボクは、
誰かを笑わせたり、喜ばせたりすることが、自分にとって楽しいことなのだと、
わかってきました。



【中学校】

中学一年生

2こ上の学年が、とても荒れていました。
生徒指導の先生が、生徒に殴られるということもありました。

ボクは、もちろん穏健派なので・・・
不良達や不良に取り入って、悪行を尽くすあほな輩を、遠巻きに見ていました。


そんな中、不良の集団に飛び込んでいき、どんな状況でも、一発で解決する。
かっこいい先生を見つけました。


それが、嶋口先生です。
ボクの、1年の時の担任です。

嶋口先生は、理科の先生でした。
写真部の顧問であり、スカイラインに乗っていて、男前で、拳法ができました。
女の子達の憧れの先生でした。

ボクが、拳法は習いに行かず、写真部に入ったのは、言うまでもありません。



ボクは、中学2年生頃から、太り始めました。
家が食料品店であったため、何でも食べ放題でした。
学校から帰ると、牛乳をがぶ飲みし、そのあと、ジュース。
小腹が減って、スナック菓子をぽりぽり。
するとまた、のどが渇いて、コーラを飲む。
もう、雪だるま式に、太っていきました。


そのころから、なぜだか、成績が上がってきました。
もちろん、理科の点が飛び抜けて良かったのです。
苦手な英語が点が悪くても、理科で成績をカバーしていました。
自分の好きな先生の授業が、面白かったのです。
その教科は、勉強することが、苦にならなかったのです。


好きなことは、がんばれる。
好きなことは、いくらでも、できる。


ボクは、順調に体重を増やし続け、成績も上がり続けました。
いったん、成績が上がり始めると、テストで点をとることは、難しいことでは無くなってきました。
勉強の仕方が、わかってくると、他の教科でも点数をとることができるようになりました。


なにか一つ得意ができる。それを通じて、他のこともわかってくる。
少しでも、成績が上がると、気をよくして、もっと勉強するようになる。
成績向上の善循環。そんな、感じでした。


中学2年生の最後には、成績は、学年のトップ近くにいました。
体重の増加と比例して、成績が上がっていったのは、なぜだかわかりません。

ちょうどこの頃、子どもの間では、スーパーカーブームが、一世を風靡していました。
「サーキットの狼」の熱心な読者であったボクも、ご多分に漏れず、クルマ好きになっていました。
大人になったら、いつか絶対、ロータスヨーロッパに乗ろうと心に強く誓っていました。
そのことは、今でも変わらず思っています。


また、いつしかクルマ熱は、オートバイへと移っていきました。
布団の中で、かっこいいバイクに乗っている自分を想像する毎日でした。

バイクの免許は、16才から取れます。
中学3年生は、受験生ですが、成績の良かったボクは、進学のことはあまり気にせず、
もっぱら、免許を取ったら、どのバイクに乗ろうかと、バイク雑誌を眺める日々に突入します。



【高校生】

ボクは、地域で「おとなしくて、まあまあ、かしこい」と、言われている公立高校に入学しました。
その頃には、太ったカラダを包む学生服は、パンパンにふくれていました。
学生服の、一番下のボタンが、今にもちぎれそうです。
事実、イスに座る時は、一番下のボタンを、はずさないと、座れませんでした。


入学してすぐの頃、校門付近で、クラブの勧誘をしていました。
ボクに目を付けたのは、柔道部とラグビー部でした。

根性とかと無縁のボクは、どちらのクラブにも入りませんでした。
ボクが入ったクラブは、もちろん室内系。文化系です。
写真を焼きたかったことと、星の観察ができることから、ボクは地学部に入りました。

夜の学校に泊まり込み、屋上で星の写真を撮れると
楽しみにしていましたが、普段の活動は、もっぱら、天気図を書くという、地味な活動でした。


雨が降れば、雨量を計り、日中は、太陽黒点を観察していました。
それでも、楽しい日々でした。
自分は、やっぱり理科系が好きなんだなと思っていました。

カラダの方は、体重の増加は緩やかになったものの、すでに86キロに達していました。


思春期の少年が考えることは、ひとつです。
「彼女がほしい。」でした。

このままでは、誰とも付き合うことなく、誰とも愛を語り合うことができない。
一生独身かもしれない。と、真剣に考えるようになりました。


得生まれのボクは、高校1年の終わりに、原付免許を取得しました。

その頃の、かっこいい男の子は、「彼女」「バイク」「ギター」が三種の神器でした。

太っていて、彼女のできないボクは、バイクとギターなら、なんとかなると考えていました。

でも、バイクやクルマ、機械やエンジンは、純粋に好きでした。


ボクは、友達に内緒で、バイクの免許を取りました。
内緒で取って、こっそりバイクを買って、友達の前に、さっそうと乗り付けたら、
とんなにか格好いいだろうと、思ったからです。

人を驚かそう、意表をつく行動は、驚きを生む。
その時は、とんなにか気分がいいだろう。

そう考えるだけで、日常が楽しくなるのでした。


そう、ギターも買いました。
その頃、大阪では、ヤングタウン(ヤンタン)という深夜放送が人気で、ボクも、ずっと聞いていました。

アリスの谷村真司のナレーション、
「モーリス持てば、スーパースターも夢じゃない。」
の言葉に、ほだされて、親にモーリスのギターを買ってもらいました。
独学で、ギターの本を読んで、コードストロークからアルペジオ、スリーフィンガーを練習しました。


不思議なもので、太っていて、誰からも見向きもされない冴えないボクだったのに、
バイクに乗っていて、ギターを弾けたら、まわりの友達は、一目置くようになってきました。

気分は良かったけど、
所詮、人は、見かけや持ち物からくるイメージで、人を判断するものだと、思うようになりました。
こうなると、どうしても彼女が欲しくなってきます。

もちろん、好きなコはいました。
でも、断られることが怖くて、「好きだ。」とか、「付き合って欲しい。」とかは、言い出せません。
太っている自分に、自信がなかったんです。
また、人は見かけで判断するから、
「どうせ、ボクなんか・・・。」と、いじける気持ちもあったんでしょう。

だって、高校生と言っても、子どもは子ども、友達にも辛辣な言葉を、平気で浴びせます。

ボクの持っていたかばんが、一杯詰め込んでて、パンパンだったので、
「なんと大きな、ブタかばん。」
と言われました。

どこかで、「樽~っ。」と、大声で言われ、振り返ると、みんな知らん顔をする。
なんてことも、よくありました。

また、当時流行っていた角川映画のセリフ
「狼は生きろ、ブタ死ね。」なんかも、よく言われました。

そのたび、悔しい思いをしたし、なさけなく、悲しい思いもしました。
全部、自分が太っているからいけないんだ。
と、自分を責めるようになってきました。


そして、ついに、決断する時が来ました。
『痩せよう。痩せて、まわりを見返してやろう。』

ボクは、本屋へ直行しました。
ギターの時のように、独学で、痩せる方法を学ぼうとしたのです。
ダイエット本を、片っ端から、読みあさりました。


そして、自分で、健康にラクして痩せる方法を結論づけるに至りました。
高校2年生の夏から、高校3年生の夏までの一年間に、
体重は、86キロから62キロまで、減少しました。

ボクを見た、体育の先生は、「山口、病気したんか?」と、真顔で聞いてきました。
ボクは、「いや、べつに・・・。」と、答ながら、内心ほくそ笑んでいたのです。

このころの、研究結果は、今でもボクのウェイトコントロールに役立っています。
健康にラクして痩せる方法を意識的に実践し、それを無意識化する。
これは、とても大切です。


現在のボクは、その無意識化した楽やせの方法を26年間続けていることになります。

ボクは、中年太りとは無縁です。
好きなものは、お腹一杯食べています。

でも、体型は、全然変わっていません。

いつしか、「他の太っている人も、痩せたい。」と考えるようになっていました。



【進学? 就職?】

高校3年生の後半、
ボクは、スリムなボディを手に入れていました。
ギターも弾けます。
バイクにも乗っています。

なのに、彼女はいませんでした。たはははっ。

だって、そうでしょ。
3つの条件がそろえば、自動的に彼女ができるはずなんて、ないもの。

ただ一つ、確実に言えるのは、「自分に自信がついた。」と言うことです。

自分が望む状態は、方法がわかり、努力すれば、手に入れることができるのを、
体感したからです。



【26年間公務員でした。】

ボクは、3月31日で、退職しました。
ボクは、高校を出てすぐに就職したのです。
もともと、ウチは、大工の棟梁の家。

じいちゃんは、
「わしは、山口県の錦帯橋を直しに行ったんじゃ。」
「腕のいい大工だけが、集められたんじゃ~っ。」
飲んだら必ず出る自慢話でした。

父親の代で、棟梁の伝承は途絶え、商売の家になりました。


学校から帰ると、玉子をパックに詰めて、ホチキス止めするのが、毎日の日課でした。
年末は、正月用の食材を配達に回りました。
おつりの計算ができない、小さい妹も動員して、まさに一家総動員の家内制食料品店でした。


その後、ボクも妹も、公務員の世界で働くことになりました。

一番喜んでくれたのは、母でした。
母は、商売人の家に嫁ぎ、幼いボク達を育てながら、毎日一生懸命働きました。
商売の浮き沈みに翻弄されながらも、けっして弱音を吐かない、気丈な女性でした。
ボク達兄妹が、公務員になって、定収入があること。有給休暇があること。
ボーナスがあること。
そんなことですら、母を喜ばせる材料になるのでした。
それだけ、辛い思いをしながら、ボク達を育ててくれたのでした。

その母は、もういません。
これから親孝行しよう、という矢先に倒れ。
そのまま、帰らぬ人となったのです。
8年前の出来事です。


18才で就職したボクは、44才の今、公務員を辞めてしまいました。
起業して、成功するために辞めました。
おいしいコーヒーを世の中に広めるために、辞めました。


当然、周囲の人には、理解してもらえず、愚行だと言われました。
でも、自分自身、なんの悔いもありません。

逆に、晴れ晴れした気分です。


母がいたら、さぞかし反対したことでしょう。
母の理解は、得られなかったかもしれません。
それでも、ボクは、辞めていたと思います。


はれて、コーヒー焙煎士の道を進み、
おいしいコーヒーを作り、広め、成功する。

そして、母さんを喜ばせたいと思います。


26年間勤めたボクに、家族が「父さんお疲れさま。」と、ケーキを買ってくれました。
子ども達も、どう言っていいのか、わからないみたいで、「おめでとう」って、言ってくれました。
何が、めでたいんだか・・・。でも、妙にうれしかった。



いよいよ、本物のコーヒー焙煎士として、デビューです。
ボクは、世の中のコーヒー作りそのものを変えていきます。



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  笑顔コーヒーのミステリーを解き明かす、7つの物語。

   第1の物語:「笑顔コーヒー、誕生の秘密。」
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   第3の物語:「笑顔コーヒー、楽しみ方の秘密。」
   第4の物語:「笑顔コーヒーが、届く時の秘密。」
   第5の物語:「笑顔コーヒーは、昔からあった。」
   第6の物語:「笑顔コーヒーは、秘密のコーヒー。」
   第7の物語:「笑顔コーヒーは、奇跡のコーヒー。」

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